夏と祭りと夢の後。

 
 
夏が終わった。
正確には終わってはいないが私の中の夏は終わった。
そうして、私は節目を迎える。
 
きっと誰しもが経験し、過ぎ去って行った物語なのかもしれないが
私の中は十分満たされ、一つも悔いを残すことはなかった。
純粋に楽しさがこみ上げてきた。
 
人にはいろんな人がいる。
だから別にその人がどんな人だろうとそれはそれでいいんだ。
何か障害を生む部分があれば直せばいいし
それができないのなら補えばいいのだ。
もちろん、障害そのものを取り除けるなら取り除くほうがいいが
人間はそこまで良くできてはいない。
 
でも、自己をどう表現していいのか分からないことを
とても悲しいことなのだと思う。
誰しも、私はここにいるよ、と叫びたいはずだ。
きっとそれが自己を表現するということになると思うのだが
それができないことはとても悲しいことだと思う。
 
夢で大切な人が死んだ。
それは夢の中で起こったことだがその波は現実の私に届いた。
とても冷たく、生ぬるい感触で私を包み込むものだった。
神様が創った砂時計には逆らえないのかもしれない。
しかし、その間にどう行動するか、どう接するか、どう愛すかは
私たちに選択権があると思う。
人が亡くなったときに、寂しい、と思う感覚は誰しもあるだろう。
だが、そこに後悔を一緒に添えては駄目なのだろう、きっと。
自己満足にしかならないというのであればそれはそれでいいのだ。
ただ、大切な人を見送る時に後悔と共に見送ることがなければそれいいのです。