きっとね、きっと

 
彼はある人を愛した。
人を愛することは素晴らしいことだし、それができるということは幸福なことなのだろう。
しかし、それは時によっては何もかもを失ってしまう危険がはらんでいることもある。
 
人は誰かに一番愛されている感覚を無意識に感じ、無意識に捜し求めている。
そうして誰かに愛されてゆっくりと眠りにつくのだ。
 
しかしそれは永続的なものではなく限り―最大でもある時点から死を迎えるまで、
死を迎えてからはどうなっているのかは生きている人間にはわからない―があるもので、
いつかは終わりを迎える。
人が生きている間にその終わりを迎える時人は少なからず痛みを覚え、
その痛みは癒えることなく心を幾度と無く刺すだろう。
そうして痛んでいたことを忘れるまで傷口は塞がらず、
忘れた頃にふと痛みを思い出し、傷跡をなぞることしかできない。
 
人は激しい痛みにも耐えることができる。
それには逆説的だが多くの場合たくさんの痛みを経験していなければならない。
そうでない人が突然激しい痛みに襲われると自分の大切なものを壊してしまうことがある。
それは物であったり、関係であったり、感情であったり、命であったりと。
 
一度に誰かを一緒に深く愛することは人生において皆無ではなく自然―勿論、一生のうち
一人の人しか愛さないということも―なことだ。
愛されなくなったものが増えれば、愛されるようになったものが増える。
愛されなくなったものは傷つき必死に痛みに耐え、
愛されるようになったものは痛みを忘れゆっくりと眠りにつくのだ。
 
そうして私は雪の積もる冬の夜に、暗く深い海の底からようやく目が覚めたような気がして、
今自分が何処にいるのか見当がつかなくなり、辺りを見渡しカレンダーの日付を見て、
驚愕した。